こなつと私の関係は、「主従」ではなく間違いなく「家族」。
そこは自信があるところで、かつそれを大事にしてきているからこそ。
「犬を飼う」時、ともすれば「ちゃんとしつけないと大変なことになる」と言われ、
「悪いことは悪いと叱らないといけない」と心配にさせられ、
何とかして「犬の上に立とうとして」相手を支配しようとする「しつけ」をする。
何かをしてほしくないときに、「しないで」って伝えれば良いだけ。
「ダメっ!」って大きな声を出して、リードを思い切り引っ張らなくても伝わると思う。
散歩って、私も楽しいけど、こなつも楽しくないとせっかくの時間、もったいないじゃない?
行きたいところに行って、したいことして、休憩したくなったら一緒に座って。
お話して、相談して、こっちの言い分を聞いてもらったり、相手の主張を受け入れたり、
一緒に考えていけばいいんじゃない?
私がこなつとなりたいのは家族。
こなつと私の関係をつなぐものは、「おもねり」ではなく「愛情」。
相手に対する恐怖と支配で従ってもらっても、私は嬉しくない。
道具やモノではない、命と向き合って過ごしたいって思います。
意のままにならないから、彼女の全てが愛おしい。
ふと、そんなことを最近強く思っております。
「チャーリードッグスクール」での学びは、私にはやっぱり大きいなぁと思うこの頃。