すごく久しぶりにミルクの話です。
2011年3月30日、震災から2週間後に保健所から引き取り、我が家に来ました。
ミルクは3月12日に保護されて、直後にトライアルで行ったお宅から先住犬と折り合いが合わず戻されていて。
あの頃は保健所も犬猫が多すぎて処理できず、「とにかく1匹でもすぐ連れて帰ってくれ」、くらいの感じだったのを覚えています。
高齢(10歳程度)で最初からお座りができたミルクは、多分愛されてきた子。
だから、長く一緒にいた飼い主さんと別れて、新しく保護してくれた家族ともすぐ別れて、
不安で不安で、頼る人を探していました。
だから、私はとにかくミルクを甘えさせてやりたくて、安心させてやりたくて
抱っこもたくさんして
安心してもらいたくて、ニコニコいっぱい一緒にして。
大人になってからの初めての犬、それも室内飼育で失敗もしました。
おしっこの失敗を叱ってしまって、排泄が一切できなくなってしまって…。
その後は叱ることをやめ、とにかく「なにをしても大丈夫だよ!」を伝えたくて、
そして「ミルクの最期の時まで一緒にいるからね」って伝えたくて必死でした。
その最期があんなに早く来ると思っていませんでしたが。
2012年4月、1年を過ぎたころ、少し元気がなくなってきて、見るからに呼吸が苦しそうになり。
病院に行った時には、癌が進行し、肺に水が溜まっていました。
その後の1ヶ月は苦しかった。ミルクにとっても私にとっても。
肺に水がたまるので呼吸が苦しい、命にかかわる。
その肺の水を麻酔なしで注射針で身体の脇から右も左も抜いて。
ご飯を食べられなくなり、水もほとんど飲めなくなり、途中から2日に1回の点滴。
食べられないのに下痢、嘔吐、抜いても抜いても苦しい呼吸。
散歩が大好きなミルクを、苦しいから抱っこしてあっちこっち抱っこ散歩して。
食べられるもの、消化にいいものをあれこれたくさん用意して食べられたらお祭り騒ぎで喜んで。
苦しいときは、ただひたすらなでて、抱っこして、添い寝して、一緒にいてやるしかできなくて。
どんなに苦しくて痛い治療も、暴れず耐えて、終わったら抱き着いてきて。
どんなに体が切なくても、一緒にいればどうにか落ち着けて。
最期の、亡くなる前の3日間は本当に苦しんでいて
「逝っていいよ」って、「やることちゃんとやったら、私も逝くから、先に逝って待ってて」って言った日の朝に逝ったミルク。
私の覚悟がきまるのを待っていたみたいに、私の腕の中で。
今ならわかる。
ミルクが私を心から信頼してくれていて、どんな治療もどんな苦しみも乗り越えようと頑張ってくれていたこと。
「ママがいれば頑張れる」
それがどれだけ重要なことなのか、どれだけ愛おしいことなのか、最期の1ヶ月のミルクとの暮らしに詰まってる。
今のこなつ(笑)
私の足元で安心しきって眠ってる( *´艸`)
こういう何気ない日々の中に、最期の時に「安心」を与えられるかどうかの種がいっぱい詰まってて、
どれだけそれを1つ1つ丁寧に積み上げられるか、でしかないと思う。
あなたの大事なわんこさんと、最期の時、どんなふうに迎えたいですか?
たくさん泣いて、泣いて、泣いて、ホントめちゃめちゃ悲しいのは、もう絶対ですが、
それでも、「大丈夫だよ」が伝わって、「わかったよ、待ってるね」って逝ったとき、
もう1回、次会える時までに恥ずかしくない自分でいようと思う強さをくれるんだと思うのです。
そのための「叱らない」。そのための関係作り。
だからこそ、私は学び続けているのだと思います。
「叱らなく」てもNOは伝えられます。
リードはショックかけなくても止めれば止まります。
相手を支配しないからこそ、やってはいけないことをやめても、心の底から自分の自由意思で我慢ではなく調整することができ、
命を尊重するからこそ、心の底から安心して眠ることができるのです。
ご近所のちゃちゃにゴシゴシ(ブラッシング、ちなみにブラシは私購入)。
私が行くと寄ってきて無防備に腹を出してゴシゴシを要求^^
こなつ<私のゴシゴシ、というわけで
こなつを連れていても、というか、間違ってこなつにすり寄るくらい、懐いてます(笑)
懐いてくれる命に、きちんとお返しできる自分でいたいなと思ってます。
私はチャーリーママさんにガイドしてもらって犬を学んでいます。
→川の鴨の親子は
ちょっと成長!!
1週間前くらい。ね?大きくなってるでしょ?
無事9羽そろってすくすく成長中!みんな元気に大きくな~れ!
柴犬風こなつの飼い主で ペットサービスもごせのペットシッター・アニマルトレーナーです。 犬、猫、うさぎ、鳥などの在宅でのお世話をしています。 チャーリードッグスクール認定ドッグコミュニケーションインストラクター。 趣味バレエ。
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